BRM417 埼玉 400 アタック日光 & ビーフ

Challenging brevet 2010 BRM417 Saitama 400 attack Nikko & beef, by SHIBATA Akira
作成 2010/04/19 随時更新

はじめに

去る 2009 年 7 月に CX900 に乗り始めて、一年経たずにブルベに参加を始めた。一応 200km300km も制限時間いっぱい使ってだけれど完走できている。だったら、そりゃー次は 400km でしょう。

ブルベについて

ブルベ」について、ルールや詳しいことはオダックス・ジャパンのペイジをみて確認しよう。

で、自分のためにどういうコト・モノが役に立ったかとかそういうメモを残そうと思う。

具体的方法

対策・装備について記述する。結果は後述。

対策

休息について

400km で制限時間 27 時間。 300km を 19 時間半で走ったのだから、あと六時間かかるだろう。あのときの様子からするに、もう 6 時間は寝ないで済みそうだ。人によっては仮眠が必要らしいが、当方の場合はまだソコまでリラックスできていない。 よって、睡眠については今回までは考えなくてよいと思われる。

乗車姿勢について

200km, 300km のブルベについてはなんとか走り切れたが、 300km で課題が浮かび上がった。それは乗車ポジションだ。

実際にどの辺かは覚えていない 240km の PC4 と宮が瀬を過ぎていたことはハッキリしている。最後の 60km のどこかで、左手に突然力が入らなくなった。おかげでフロントギアが変えられなくなった。

最初は突然変速レバーが動かなくなったので「あー故障かー、しょうがないなー、自転車屋さんにもっていかなくちゃなー」と思った。足もろくに動かないような状態だったので、いけるところまでいくという方針は変わらなかった。

しばらく走ってから、ふと右手でフロントギアを変えてみることを思いついてやってみたら、変わる!・・・そう、故障していたのはギアではなく、左手のほうだった。仕方がないのでフロントは 28T 固定で、リアだけ変速することにした。というのも重くしても脚は痛いし、登り坂でも踏み込めも引き上げもできないからもうフロントギアはもっとも軽いところで固定で走りきってしまおうと考えた。 まぁ、引き際の悪さもあって走りきれちゃったのだが…

左手の問題

この左手の問題はかなり尾を引いた。 日曜日(3/21)早朝に帰宅して月曜日(3/22)はふくらはぎの筋肉痛があったが、火曜日(3/23)にはほぼ治り、水曜日(3/24)には全快したと思った。 が、左手については親指に力が力が入らず、薬指と小指がかじかんだままだ。 木曜日(3/25)になっても全く改善しなかった。 さすがに何かおかしいと思い、金曜日(3/26)は会社帰りに病院に寄った。

レントゲンでは特段不具合は見つからなかったようだ。 そこで翌日(3/27)「手の専門の先生」がくるのとのことで見てもらうことになった。

その翌日(3/27)の手の先生に見てもらって、なんだかよくわからんっちゅうことは変わらなかったが、薬は二種(ビタミンEとビタミンB12だとかで炎症止めと血行をよくする薬だそうだ)を処方され、一週間後(4/3)に MRI と診察となった。 「 MRI でわからなければ、この病院ではわからないから埼玉医大に」と言われた。

この薬のせいなのか、時期なのか、それはわからないが、薬を飲み始めるまで改善の兆候すらなかった左手がよくなってきたような気がした。

一週間後(4/3)、 MRI で撮影された。 首と左肘だ。 非常にうるさいらしく、 IRC で「寝られるものなら寝てみろ」みたいに言われたわけだが、得意の寝る儀式(コレをすると寝入りやすいという一連の行動)をして、首のほうはぐっすり眠れた。 おかげで、何分かかったかぜんぜんわからず、すぐに終わったような感じだ。 左肘のほうはいったんは眠ったのだが、不自然な姿勢が響いて、途中でしびれというか痛みで目覚めた。 しかし、困るほどのことでもなかった。

MRI を終えて、待合いで待っていると「手の先生」の診察の部屋へ呼ばれた。 しかし、肘の肝心の場所の写りがポジションのせいで悪かったか、撮影し直しになった。 再び寝たが先ほどの反省を活かして姿勢を変えたのだが、やっぱりしびれの痛みで目が覚めた。 痛いのは肩で、しょうがないなぁと言う感じだった。

再び待合いで待っていたら、診察に呼ばれた。 簡単なチェック、握力などを調べて、当方へ説明をしてくれた。 それによると「神経が腫れている」とのことで、原因についての言及はなし。 改善しているようなので薬を飲みながら様子見るということになり、三週間後(4/24)に診察と相成った。 「二週間後(4/17)にブルベで 400km 走るんですけど」とは言わなかった。 今回の診察に当たってアンケートというか、紙に原因の思い当たるフシについて「疲れ」を記述したが、口頭では特に聞かれていないからだ。 あまり参考にされていないのかな?

ポジションを元に戻す

今回の件、火曜日(3/23)に自転車屋で聞いてみたら、大先輩が来ていて「乗車ポジションが悪い」とのことだ。 思い返してみると思い当たることがある。このときまで考えていた乗車ポジションは 「少ないエネルギーをなるべく常に多めにだしたい」ということを主眼に置いていた。 →そのためには、座った姿勢でも立ち漕ぎに近いポジションはどうか? →立ち漕ぎは前輪に近く、というか前方に重心が移っている。 →だったら座っていても重心を前方に移すことで実現できるんじゃないか、それに今でもハンドルがちょっと遠い気がする。 ということで、サドルを前に前にとずらし、ついには限界に達したのでさらによく見るとシートポストの向きを前後反対にすることでサドルを前に移動できることがわかった。 サドルの前後位置を決めては高さを決め、ということを実行してのポジションだった。 おかげで、少ない出力ながらなんとかほかの人たちについていけることもあるようになった。 ブルベの 200km,300km も一応は走り切れた。 しかし、左手が使えなくなるようではダメだ。

300km ブルベから一週間、診察の翌日で MRI まで一週間あるその日(3/28)、自転車屋の店長のツーリングでサドルの工夫を見つかった。 聞くところによると、トライアスロンの人に多いらしい。 それを見て「独自進化をしろ」とのことだが、それは当方の望むところではないし、やはりほかの方の意見も取り入れたい。 それには標準的乗車ポジションでありたい。 改めて考えてみると重心を前に前にと持っていくということは腕力にモノを言わせていたわけで、手に負担がかかっていたのだ。

そこで!心機一転サドルを元に戻して、ポジション調整を再スタートさせた。 ちょっとサドルが低いような気がしたが、膝の伸び具合からはサドルはやや高めなようだった。 果たして一週間たった時にツーリングに参加したら、まだサドルがちょっと高めであるようで、脚も膝裏が痛くなったことから裏付けられる。 さらにサドルを下に下げて、クリート位置も調整しなおしだ。 後二週間で調整は間に合うか。

力まない漕ぎ方を続けているが難しい。しかし 4/9 にあんまり力まないで上半身をつかって坂を登る方法を教わった。 なんかいい感じな気がする。 具体的にはあがってくる脚のほうにヘソを向けて、ピークにくるちょっと前にヘソを反対に向けて反対脚が上がってくるようにするってことだ。 まさに、当方をブルベに引き込んだ先輩が道志の上りで見せてくれた登坂フォームそのものだ。 ワシもできるようになるか? 練習し始めて一週間で 400km ブルベでいきなり使い始めるってのは無謀かも…

装備

基本的装備は BRM320 埼玉 300 アタック愛鷹と同じだ。 今回もコマ図スクローラを使おう。 ただし、今回は出走が川口からなので、初めて輪行を行う。

撮影

デジカメを落としそうだし、振動も怖いとあちこちで放言していた。 取り出しやすいところに置くということでトップチューブバッグがいいんじゃないかと小生さんに教わったので導入してみた。 またデジカメは PENTAX の Optio W80 を matoken さんに薦められたので、そのスジを当たっていたら、PENTAX Optio W90になった。 おかげで財布の中の有り金を全部持っていかれた。…まぁそれでも格安で入手できたのだが。 ということで、今回は撮影できると期待した。

輪行

TIOGA の cocoon という輪袋を入手した。これで東浦和まで電車に乗っていって駅で自転車を乗れる状態にしてスタート地点に向かおうと思う。 …しかし、ペダルをはずせと説明にあったが、はずれない…翌日自転車屋に行って緩めてもらった。

帰宅してペダルを外し、袋詰してみたがキッツいので、結構大変。 まぁ、駅までと乗り換えをどうにかすればそれは対応できそうだ。 その後、たたんでいるとはいえ 400km もこのカタマリを担いで漕ぐってのも気が重い。 というか、車体のドコにつけるかは練習時点(4/13)で未定だ、どうしよう?ってな感じだった。

袋に入れてみた写真

結果

「雪アリ、山アリ、人情あり」のココロにしみるブルベだった。

ここから下は当分…考察のあたりまでは、スタート前からゴール後しばらくの感想をグダグダ垂れ流しだから、奇特な人だけどうぞ。

スタート前

朝食にしようと思った品、焼きそば、バナナ、どら焼き

朝食にはカップ麺の焼きそば(1099kcal)とバナナ二本。 大きいどら焼きは食いきれなくて道祖神峠の手前で食べることになった。

線路上停車中の武蔵野線からの写真

輪行だったので、駅まで車で行って西武池袋線は秋津→武蔵野線の新秋津まで担いで移動したわけで、重い以前に雪で靴カバーがはずれたりとか、とってもイヤ〜ンな状態だった。 東所沢駅を過ぎてしばらくいったあたり?の線路上で電車が止まった。 おお、関東最弱(雨・風・雪など一番止まりやすいとの話)と聞いていた通りなのか?と思って待っていたら、貨物の車両が前にいるらしかった。(このとき列車最後尾に居たので、車掌が窓から前方を見たり、業務連絡放送?を聞いたりして車内に伝えていたのを見ていた) 次の駅では 12 分遅れで到着したらしかったが、数駅先の南浦和ではもう 11 分遅れになっていた、スゴいことだ。

車中で車掌にオバハンが「○時○分の大宮発の新幹線には間に合わないですよね」みたいなことを言っていた。 それに対し、車掌は通常業務の合間を縫って調べ「武蔵浦和で乗り換えたら、○分ごろ到着できそうです」と報告し。 ダイヤが乱れている時にあの丁寧な対応に感心した。 オバハンが持っているのは自由席券らしかったから、時間を気にしているのは多分知人らと一緒にいくんじゃないかと思った。 今ならケータイもあろうに…、メイルでも電話でもとか思ったが孫が居そうな年齢に見えたので持ってないかもなーと思い直した。

東浦和駅の前のスラッシュアイス状態

さて、武蔵野線は東浦和駅について駅前は写真の通り、スラッシュアイス状態っちゅうのかな?カキ氷の最後に近い状態の積雪が解けかかっているようなーという状態だった。 一人輪講袋を担いでいる人が立っていた。 駅のコンビニの脇にスキマを見つけたので、そこで自転車を組み立てることにした。 その最中、女性も組み立てはじめた。 女性のほうが先に行ってしまった。 当方は経験が浅いことが露呈して組み立てに 30 分くらいかかった。 まぁ、とにかく 7 時になって組み立て終わり出発だ。 出発しぎわに発見したが、コンビニの別の角のところで、もう一人自転車を組み立ててる人がいた。 それなりに輪行もいたってことだ。

スタート地点で待っているときの風景

スタート地点では…ブルベカードがまだ到着していないとか、天気の回復をもうチットまって一斉スタートの 09:00 とか orz 「いや、もう、なんというか、寒いんです、ぬれてもいいから漕ぎ出したいです」 そういう気持ちだった。 「ちょっとその辺アップしてきてもいいよ」とかいう声があったが、当方の心の声は「そういうんじゃないんです、すぐにスタートしたいです」と叫んでいた。 まぁ、カードがないのだから仕方あるまい。 そばに居る方と話をしながら二時間弱こごえながら待っていた。 また、「車のある方は車のなかでお待ちくださいー、ない人はここでー」…ただしい判断だ。 当方には車はないので悲しいだけだが…仕方がない。 知合いらしい人を立っている人から見つけて「車にきません?」みたいな人が何人か…うらやましいのー、こちとらまともなチャリに乗り始めて 10 ヶ月、ブルベ 3 回目、知合いなど居ようハズもなく、これもまたブルベの楽しみかただろう。 っつうか、立ってこごえている人を含めワシら物好きだよなぁ。

カードが来て、サインしたり、あとはまぁ、ミゾレ交じり雨というだけで過去のブルベと同じだった。 あー、そーいやーブリーフィングが雨音が大きくてよく聞こえなかったが、コレだけはというのは特になさそうだった。 悲しいことに寒さからか、チェックをして、スタートする直前に左脚が一回攣った (笑)

写真奥が検車待ち行列、手前は出発する人たち

スタートから PC1 (約 108km ) まで

スタートして最初の右折の角を見逃していきなりミスコース!もうね自分でも「お前はバカかアホか」と… orz ってな自己嫌悪に陥りつつ、雨中を走行し始めた。 最初は「押さえて押さえて、無理しないムリしない」とゆっくり目に走行し始めた。 すると前の人たちは早々に見えなくなりちぎれた。 が、後ろに何台かいて、列車の先頭に! 抜いてくれないかなーと思いつつ、走っていたらいつのまにか居なくなった。 こりゃ、早すぎかとちょっと抑え目にして追いついた二連結の後ろについて三重連にーというところで、先頭の方が信号で落車した。 リアディレイラーのあたりのメカトラブルらしかったが、致命的ではないようだったので、不屈の魂を持っているであろうその方を見捨てて進行した。←人情薄い。

今回の早かった原因と脚・足が痛いことの原因の原因をつくった発端が利根川の土手の上の道だった。 この頃にはほぼ雨も上がっていて、遠くまで見通せたんだな。 先のほうにまで人がポツポツと見えた。 向かい風、先行者が見える、身体もあったまってきて脚も回る気がする、いくつかある列車を乗り継ぎながら前のほうへと移動した。 割と大きい集団になってその中で落ち着いた。 本当なら先頭をガンガン交代して進むともっと早くなるのになーと思いつつ。 たまに先頭に出て、ちょっと漕いだら、後ろに下がることを繰り返した。 「オイ、ゆっくり行くんじゃなかったのか?」と思った、あなた! 鋭いですねぇ、当方はスッカリ忘れていた。 ということで、高速列車に乗っちゃったのだった。

見事に一列に 10 台あまりの自転車が走った。 当方は列の中ほどにいて前走の自転車のシブキを浴びつつ、自分の前輪のシブキも浴びて、「うぇー、ペッペッ」となりながら、走った。 ここでも川越のカニヤさんで購入したサングラスが役に立った。 シブキもパッチリ見えた。 ってそういうことじゃなくて、視野が広く、大きく目を覆っているのでしぶきは目の前のレンズではじき返してくれるから、結局シブキもよく見えた。

思川あたりの道の駅?にて

約 50km ほど高速列車に乗っていて、ハラが減ってきたのと、おしっこしたいので何人かが思川の道の駅?に入っていくのをみて、ソコに行くことにした。 ここでおしっこたれて、パンを二つ、飲み物を仕入れて靴の中がぬれていたので靴カバーを外して干しつつ、下半身のヤッケも脱いだ。 休憩の後、漕ぎ出して、「あれ?脚に違和感が?…どぅわー、シマッター列車の中で全開近くで走ってたよー」と思い出した。 後の祭りですな、歩いていたらトボトボとになるような感じ、自転車ではどう表現すればいいのだろう?まぁそんな感じで進んだ。 PC1 の前の手前にちょっとした坂があるが、既に売り切れていた当方の脚にはツラかった、ゆっくりゆっくり漕いで登った。 なんだかわからないが、 PC1 にはいっぱい人がいて安心した。

野には花が咲いている

そう、 100km を 5 時間で走っちゃったよ。 100km を 6 時間で走るとどうかなーと思う当方には完全にオーバーペースだった。 つまり 18.5km/h 平均程度で走ろうと思っていたのに、この区間のとある 50km は 25km/h 平均だった。 当然このなかには信号などで停止したりする時間も含まれているのにだ! 実走行速度はもっと速いわけだ。

約 152km 地点にある PC2 まで

完売御礼の札を下げたい脚を使って PC2 に向かったわけだが PC2 は最初の山を越えた先だ。 131km あたりから始まる 7% ほどの坂があったので、今回に向けて練習してきた走法(といっても一週間の付け焼刃だけど)を試した。 おお、ヘロヘロながら登れるぞ。 売り切れ脚でも登れることがわかった。

PC1 を過ぎ、 PC 2 へ向かう日光へ行く途中の坂

でっ! 今回最大の危機は 140km 過ぎに、この先の標高をみようと「ブルベカードを入れている資料も入ったパック」を取り出そうとしたら… アレッ? アレッ? あらぁ〜? ないよ。 今回はここに入れると決めていた。

ブルベカードがなければ、 400km 認定とかいう話じゃない。 最後に見たのは 7% の坂の角の手前だから 130km くらいか。 見つけられれば最大で二十キロメートルの増加、風も吹いていない、車も少ない、まだ明るい、見つかるかもしれない。 何もしないでいるより、いっぺん戻って、見つからなくて、もう一度ここまで来てダメなら日光から帰ろう。 そんな気持ちで、戻り始めた。

途中会うブルベライダーに「ブルベカード拾ってませんかー」と聞きつつ、移動していたら多分ソレという方が一人(プロテクターを着けた早くて元気な人)がいた。 いわく「峠の向こう」…うひゃー、でもまだ私は死んでない。 ということで目を凝らしながら、上りなおして…あったよ。 あまりの感動に写真を摂ることを忘れたよ。 いいネタだったのに…←(なんか違う)

ソレからは、(1)走行中に見ない、(2)見た後は必ずファスナーを締めるということを肝に銘じて時々確認しながら走った。 まぁ、あったのだからそれでよしとしよう。 15km ほど多めに走ったが 400km からすれば 5% にも満たない。 安心したが、精神的にもだいぶ売り切れつつあった。 途中キッつい坂があったので、さっそく押しも入れた(笑)

PC2 から約 195km 地点の PC3 まで、調子よく楽に走行できた

書くことはあまりない。 PC2 で夜装備にした。 尾灯を点け、ヘッデンを点け、前哨灯を点けた。 下り基調で平らだったり、たまーにちょっと上りがあったりと、売り切れ脚でも結構なペースで走れたと思う。 スタートから 186km あたりでミスコースして戻ってきて目の前を通過した 4 台が結構早くて、追いつけず、 PC3 の手前 2km で追いつくなんて、列車に乗せてもらおうと思ったが全然恩恵にあずかれず。(自転車って単独よりも列車のほうが圧倒的に楽で早いんだよなー)

PC2 までのブルベカード回収時のロスと山ということを考えるとほぼ 200km 地点のここにスタート後 11 時間(すなわちこの区間は 100km あたり 6 時間が維持できた) で到着できたことを考えれば驚異的なハイペースだ。 そーいや、この区間では誰にも抜かれなかったなぁ。 ミスコースはしたけど(笑)

約 247km 地点の PC4 まで

PC3 を過ぎて桜のライトアップがあって綺麗だったが手ブレが見苦しい

理由はわからんが、峠って頂上に近づくと傾斜がキツくなるような気がする。 もうトリップメータがワケワカらんっぽくなっている状態ではあったが計算上は伴睦峠のピークまであと 2km くらいのところで押しを入れ(要は自転車を降りて押すこと)始めた。 数百メートル押したら少し脚が動くような気がしたので漕いだらピークだった(笑) 小径車の方とやや離れてつかず離れずみたいな感じで走行した。

PC3 はミニストップだったので、チャリ乗りの休憩所としては非常によろしかった。 PC3 で初めてカップ麺を食べてみた。 よく食べている人がいてうまそうだなぁと思っていたが、うぇっと来るのを恐れてアンパンとか羊羹とか甘いものばかり食べて辟易していたのだ。 選んだのはキツネウドン。 天ぷらが乗っていたらちょっとアレだが、アブラゲなら少しマシかなと。 身体を温めることと、塩分補給にもいいかと、汁も全部飲んだ。←いつもカップ麺の汁全部飲んでるけどさ。 眠気のためにテーブルに臥せって仮眠しているっぽい人や椅子で仮眠?っぽい人など、当方は当然に休憩少なく補給の水や羊羹を購入したらさっさと出発した。 休憩したいのはやまやまだが、休憩すると脚が動かなくなる(←ラーメンの脂が冷えると固まるような感じ?)し、そもそも走行速度が圧倒的に遅いのだから、少しづつでも走行して進んでおかないと時間内完走は怪しい。

明け方到着な約 307km PC5 まで

当方は PC5 までいければあとは平地だからゴールできるだろうと考えていた。

一人寂しく(いや、本当はずっと数字とコマ図を見て誤差修正計算していたので寂しくなかったが)ビーフラインを走って、那珂川を越える橋を渡ったところで、後ろからきた 5 台ほどの集団にここで勝手に便乗した。 交差点を曲がるときに「ビーフラインの予習が終わってコレからが本番ですよ〜」との声に、「えぇ〜?まだあるんですか〜?」ってな感じの当方。←終わったと思っていた。 この集団は平地では当方よりも遅いが、上りは当方のほうが遅いに決まっているから、ついていけるならついていったほうがいい。 一人だとちょっとキツいとすぐに押しを入れるから、ペースは下がり気味になるハズだ。 ペースのわからない当方のペースメーカに勝手に指名してついていくことにした。 淡々と一定のペースで進むほうが早いことは経験で知っている。 この時点での当方は上りと停止からのスタートがめちゃくちゃ遅い、下りは並よりはちょっと早い(と思う)、平地は並よりちょっと遅い程度だと自己分析していた。←売り切れるとずっとこんな状態だ。

実際、ビーフラインは大変だった。 約 20km の間に大小の急勾配がいーっぱいあるのだ。 一人で行ったらきっと降りて押しを入れていた。 他に漕いでいる人がいるから自分も漕ぐ、それだけだが、押しはだいたい 4km/h で、漕ぎは遅いときでもだいたい 6km/h くらいだ。 長い道のり漕いでいるほうが圧倒的に早い。 出来れば漕いでいたいが、売り切れて漕げない脚はトルクも出せない、すなわち坂も登れないということだ。 序盤の高速列車とこの方々と最後のほうに付き合ってくださったお二方のおかげで当方にとっては圧倒的な高速ブルベとなった。

最後の山、道祖神峠への入口(来栖付近、約 287km あたり)でこの方々は、コースからは離れているが道を曲がらずに先のほうにあるコンビニで休憩していくことにした。 当方は絶対と言っていいくらい押しが入るハズだ。 休憩をすればするほど時間がかかる。 休憩も止まっていれば速度 0 (ゼロ) だが、押していれば 3km/h 〜 4km/h は期待できる。 ほとんどトルクのない脚でもそれくらいは確保できるのだ。 お別れは大変名残惜しいが、この峠で追い越されるだろう(全部押したら 6km くらいだから二時間くらいになろう、ココを二時間で越えられれば時間内完走が見込めると期待していた)ということで、当方はこのままコース上を進むことにした。 道祖神峠越えを見越して水と食料を持っていたので、(昨日の)朝食にと準備していたどら焼きをここでほおばることにした。 いきなり線路越えの跨線橋は押して登った(笑) というか、先が見えてるので、この程度なら新型の漕ぎ方であがれるが、糖分補給を考えて、押しながらどら焼きを食いながら登った。 大きいどら焼きなので時間はかかったが、まぁ押しながらの補給なのでよしとしよう。 追い越されるときに、押しが入っていたので「大丈夫ですか?」と声をかけてもらったが、「食べてます」と言った。 こういう風にちょっとしたことでも心配してくださるのは大変ありがたい。

どら焼きを食べて、水をガバガバ飲んだあとは、チマチマと登るわけだ。 ビーフラインに因んでつけられたのかフルーツラインというらしいが、やっぱりワケワカラン。 高速道路の下をくぐってちょっと先の右カーブ 9.5% の標識のところまでで、漕ぎは終わり。 あとは押しだ、一番低いところから約 2.9km 進んだ。 一番高いところまで、約 5.4km だから残りは 2.5km 程度だ。 止まっていれば永遠に頂上に到着できないが、押してれば長くて一時間で頂上なわけだから脚の休憩を兼ねて押していた。 漕いでいるときには抜かれたが、押しているときに誰もこない。 はぁはぁしながらも押しをいれて、峠の特徴?傾斜がどんどんあがり、計算上はそろそろ頂上に近づいて、標識の傾斜が 11.5% にも達するころやっと追走者がやってきた。 みるとさっきの一団だった。 「すげーよなー、漕いで登ってるよ」と感動して、自分もそうなりたいと思った。 傾斜がゆるくなったので、漕ぎ始めたら頂上ちょっと手前のやや傾斜のゆるいところで、騙された。

テッペンで待っていたら、「あまり大きい集団なのも…」と言われ、一人の方と行くことにした。 この方は当方がヘロヘロなのを知ってか、やや上りではゆっくりと走ってくれて、何とかついていった。 実力的には売り切れ脚比 105% くらいだったろうか。 それでもおかげでいいペースで PC5 に午前五時ごろ到着できた。 残りは PC を一つと 80km を残すだけだ。 いや、 80km だって結構ある(笑)が、概ね平地だから 7 時間もあること、脚の状態から帰り着けることに確信が持てた。

約 354km の PC6 まで

PC5 で、二人加えて出たわけだが、出発して約 4km の交差点で当方を引っ張ってくれた方がパンク、しかも今回既にパンクしているらしくチューブの残りがないとのこと。 当方は 32c で、二本もチューブを持っているし差し上げたいが、先方は 23c でこりゃ使えない。 修理キットを持っているから「先行せよ」とのお言葉。 何か、ドラマのような展開に申し訳ないが二人加わった内のもうひとかたと先行することにした。 このとき、一番後ろを走っていたハズの人( PC5 で便乗させてくださいとおっしゃっていた)がいなくて別の人になっていた。

この方も当方のヘロヘロ脚に気を使ってくださり、ゆっくり進行してもらった。 また平地も多くそれまでの脚の使用率が 105% 使用から 98% 使用くらいになった。 でも、トルクがないので、赤信号からのスタート、上り坂はもうへにょへにょだ。 最悪なのは上りでの信号待ち。 とにかく対向の右折待ちの車がかわいそうなくらい当方の自転車進まなかった。 まぁ、それでもスピードが乗れば 25km/h 弱で淡々と進んだ。

PC6 〜ゴール

PC6 では水を買った。 ここで先ほどパンクした方が到着して、見捨てた当方の心の重荷が減った。 もう甘いものには飽きて、水が欲しかった。 といいつつ、背中にアンドーナツがあることを思い出した。 途中でハンガーノックになるのもシャレにならんので、食べた。

最後に当方を引っ張ってくださった方、キューシートのスクローラをつけていた

PC6 まで引っ張ってくれた方と一緒に出発した、引き続きゆっくり進行してもらった。 「 PC6 を出発して 2.4km 先の田んぼの真中」という指定に「なんじゃ〜?」と多くの参加者がいぶかしんだわけだが、先行車がいて曲がったのを見て、アレかと。 スタートと上りが全然だめだという当方の脚の特性をわかってくださったようで、スタート後しばらくはゆっくりで、追いついたらすこーし速度を上げるということをしていただいた。 で、「そんでもってやらかしましたよ」ってな感じだ。 当方の脚を知っているので先の上りを「スピード上げて登ってみます?」みたいなお誘いに乗ったはよかったが、直後に得意のミスコース。 その方が後ろから声をかけてくれて気づいた。 368km 付近の右折をせず直進したようだ。 っつうか頭悪すぎだよな。 二人で振り返ると遠くの畑か田んぼの中を自転車が走っていくのが見える。 「アレだ!」 ということで、 GPS で確認(電池バカ食いなので普段電源いれてないのだ)してコースに復帰した。 そのちょっと先からは昨日というか往路と同じ道に乗った。

利根川のサイクリングロードは無風で見通しも弱く平地だ。 トルクはなくとも、脚は回転するので巡航は 30km/h くらいまでは上げられる。 ここまでのお礼のつもりに「前で引きます」と申し述べた。 一応 5km くらい恩返しをした…つもり。 終わって、「もうあと 20km ほどなので、当方は行き着けるから、ご自身のペースで」と言った。 とても感謝していて遠ざかる背中をもうちょっと見たかったが、余韻に浸る間もなくあっという間に見えなくなった(笑)。

その後ね、川口市に入ってね、いやっちゅうほどアップダウンがあってね、辛かった。 その前に抜いた方に追いつかれて、一緒にゴールした。

当日 2010/04/18

記録は 25 時間 18 分。初めてのブルベであった 200km と同じ膝の下の腱が痛い。 しかし、完走直後としては精神的にも肉体的にももっとも状態がよいブルベだ(笑)。 今から 200km 走れといわれたら、カンベン願いたいが、全くの平地で無風なら走れるやもしれぬ。←そんなコースないっつうの。

ブルベスタートからゴールまでの走行記録は以下の通り。
項目内容備考・他
走行 413.8kmミスコース分含む
実走行時間0:33:09休憩や信号などで停止中は含まず、多分 10 時間の桁の 2 が表示されていないものと思われる
平均走行速度 20.1km/h休憩や信号などで停止中は含まず。
期間中最高速度 62.2km/hCX900 はよく転がる

さて、輪行だし、漕いで帰ると 4 時間くらいかかりそうなので、電車でということで東浦和の駅前で荷物を広げて、お日様の下試行錯誤しながらパッキングをした。 電車に積んで、乗換駅では転がしに挑戦(疲れた当方の状態にはとても効果的だった)し、駅から車で自宅に二時間半くらいだったか。

車両中の自転車

すぐさまシャワーを浴びて、ソーメンをゆでて食って、挑戦の献血に! 200km の時は翌日だったから体調も普通だった。 今回はゴール後 5 時間とはいえ、どうなんだろう?と血液検査に期待だ。 献血のところではいつもセンベイをいっぱい食って、飲み物も飲みまくりだが、さすがに内臓がつかれているのか、あんまりだった。 それでも、コップに四杯はもらった。

献血が始まって、テレビを見ていたら、オチた。 成分献血のタイミングで見るとオチていた時間は 10 分程度だろうか。 600km ならまだ走っている時間だ。 テレビを見なければ眠くならなかったが、突然眠くなるんだなぁ。 献血後の最高血圧が 104mmHg と当方の観測史上最低を記録。(昔は 180 とかあった)

献血から帰宅して、今までやったことのなかった積極的な治療を始めてみた。 といっても、シップとエアサロンパスを吹き付けてみるだけだが。 両者の違いを見るために右脚はシップ、左脚はエアサロンパスにしてみた。 いままでと同じように両脚の痛むところや痛みの程度は同じくらいなので、比較にはいいかと考えた。 痛みの程度は、歩くにはあまり苦労しないが、階段の上り降りは難儀で、膝をあまり使わないので自動車の運転は普通にできる。 いつもよりも早く 22 時ごろ就寝した。

翌日 2010/04/19

朝起きて…膝は痛い、階段下りるのには難儀する。 治療の効果は全然わからん、改善はしているが、何もしていない統制条件の膝をつくってないからわからぬ。 次はかたっぽの膝には何もしないでみるか (笑) モモが少々筋肉痛だがたいしたことない。 右足の親指付近を中心に表面がしびれているのが取れない。 左足のほうの痺れは取れたのでそのうち治ると期待している。 足の裏が痛い(筋肉痛っぽい)のも始めての経験だ。

翌々日 2010/04/20

朝起きて…膝は痛い、階段下りるのにはやや難儀するが一段づつ降りれば特にいたみもない。 右ひざはほぼ完治で、左膝後ろ下外側がやや痛いかな。 依然として右足の親指付近を中心に表面がしびれているのが取れない。 足の裏が痛いのはほぼ治った。 あとはちょっとした脚のこわばりが向きや動きなどによってちょっと痛かったりという感じだろう。

2010/04/21

昨晩から急におしっこが近くなった。 寝ているときも三回起きた。 痛みはないけど、おしっこの量は多くないので膀胱炎とか尿道炎とかどこかで何か起こってると思われる。 朝起きて…右ひざは治ったので自転車で通勤を再開することを決断する。 左膝は相変わらず昨日と同じくらいちょっと痛く、階段の上り下りが辛いので一段づつとした。 出勤途上の自転車で「あーこれだよなー、これが出来れば最後まで痛くならないんじゃないかなー」と思いながら、向かい風の中をゆったりと走った。

左手について

300km の途中から故障した左手は、上述のように完治しているわけではないが、わりとよくなっていた。 今回のブルベ中も力が入らなくなることもあったが、また回復したりと、最後までボチボチ使うことができた。 多分新型のハンドルの持ち方で負荷が低減したのかもしれないと思った。 走り終わった状態では、出走前よりちょっと悪く、腕を伸ばした状態で指が完全に伸びないというくらいで、悪化度は想像していたよりもずっと少なかった。

新型のハンドルの持ち方について

通常ブレーキブラケットには親指と人差し指の股をあてて握る。 当方もそうしているし、ブレーキブラケットに手をかけている人でそれ以外のニギリを見たことがない。 しかし、以前からハンドルが遠く、サドルを前にずらすという方法を進めた結果、重心が前に行って手で重みを支えることになった。 幸いなのか不幸なのか当方の腕力は 300km を走りきる時間については充分に機能し最後まで肘を曲げた状態を維持できた。 (普通疲れると関節の抵抗を使おうとウデが伸びきってしまうので前輪の振動を吸収できずに危険だ。だから肘はある程度まげた状態を維持して衝撃や振動を吸収しなくてはいけない) だからといって、シートを前にすることは既に行った当方の望んでいない道だ。

ここで、別のアプローチを思いついた。 当方は腕がとても短い。 悔しいことに身長 160cm の女性と腕の長さがほぼ同じだ。 既製服では袖が余ることが多い。 人差し指と中指の股なら、親指と人差し指のソレよりも 3-4cm ほど長くなるぞ。 ということで試してみた。 ブレーキも素早くブラケット握りへの切替をしてかけられる、悪くはない。 あまりブレーキをかけなさそうな見通しのよいところで巡航するときには使えそうだ。 ということで、通常スタイル(親指・人差し指間)、ハンドルの一番手前を握る拳を前にするスタイル、ハンドルの低いところを握るスタイルに加えて、新型の人差し指・中指間を使いながら走ってみた。 なお、中指・薬指間でも試してみたが、ブレーキの握り切替がダメで、握った感じもイマイチなので、これは現時点では不採用だ。

献血結果について

400km 走った状態での内分泌系がどうなっているのか非常に興味深いと個人的に考えている。 ここで異常値が出なければ 600km もいけるやもしれないわけだ。 200km の翌日は膝は痛かったが普通の範囲に収まった。 今回は到着時刻がステキに午前中なわけで、多少のムリ(膝痛いのョ)をしてでも血液検査を目的に献血をしたいわけだ。 病気の検査じゃないし、異常があったら教えてくれるだろうというのもあって使い物になる血液かどうかも判定してもらいつつ献血だ。

2010/04/27 帰宅すると検査結果のハガキが到着していた。 ぱっと見は全部正常値(90% くらいの人が入る値)に入っていたのでつまらなかった。 が、本当にそうだろうか? よく見れば今までの当方の値(わりと狭い範囲に収まっていた)から大きくハズれているようにも見える。 そこで、統計の本(マンガでわかる統計学)を引っ張り出して、過去の 17 回分と比較して標準偏差とか偏差値とかを求めてみた。 当方文科系なので統計の勉強とかはやったことがないので、この本の最初のほうしかよくわかってないが役に立つ。

下に実際の値と偏差値を載せる。 偏差値 40 〜 60 は 17 回の実績とはいえ今回の分は誤差に近いものと解釈しても 40 未満と 60 超はそれなりに異常値とみていいのではないだろうか? また偏差値 30 未満と 70 超はハッキリと今までにない値だといえる。 が、コレをみての所見は、そういった教育を受けたことがないのでなんともいえぬ、解釈について、教えてくれるととてもありがたい。

項目標準値今回値今回偏差値
血圧 (最高)-13957.48
血圧 (最低)-7235.47
脈拍-7470.79
ALT(GPT)5〜45 IU/L1948.43
γ-GTP10〜65 IU/L1847.49
総蛋白 TP6.5〜8.2 g/dL6.731.48
アルブミン ALB3.9〜5.0 g/dL4.233.41
アルブミン対グロブリン比 A/G1.2〜2.01.742.57
コレステロール CHOL110〜250 mg/dL19042.91
グリコアルブミン GA16.5%未満13.944.12
赤血球数 RBC男性 425〜570 ×104 /μL48730.98
ヘモグロビン量 Hb男性 13.3〜17.4 g/dL15.435.84
ヘマトクリット値 Ht男性 39.0〜50.4 %44.128.31
平均赤血球容積 MCV80.0〜100.0 fL90.646.11
平均赤血球ヘモグロビン量 MCH26.0〜34.0 pg31.661.69
平均赤血球ヘモグロビン濃度 MCHC32.0〜36.0 %34.963.68
白血球数 WBC35〜100 ×102 /μL9191.54
血小板数 PLT14.0〜38.0 ×104 /μL23.538.43

考察

失敗

三回目のブルベだ。失敗したと思うことを書いてみたい。 詳細は箇条書きの下に記述。

  1. 力んだ走り…ペースがまだまだわかっていない
  2. ブルベカード紛失…早い時間でしかも見つかったからよかったものの泣きそうだった

力んだ走り

前回 300km で挙げたところの… 「ゴール寸前には力めない走りになっていたのでアレを意識してできるようになりたい。 普段のツーリングとは当方の現在の実力では同じにできないのだ。」 …ってのが、まだ全然できていない。 坂を登るには平地では少々遅いくらいで走っていないとダメなのだ。 ドコでも全開ってのが出来る程度に体力・筋力・関節力があればともかく今の状態は「制御者のいないソリ引き犬」と変わらない。

ブルベカード紛失

なんと言うか、もう落とさないようにしますとしかいえない。 風も車通りもなく、光があって、 8km 戻ったけど早くわかって、結果的には幸運だったといえよう。

成功

三回目のブルベだ。成功したと思うことを書いてみたい。

  1. 摂食・水分補給…おおむね順調にできた
  2. 撮影…数は少ないが撮影できた、雨と雪で防水・低温プルーフの Optio W90 にふさわしいデビューとなった
  3. サイクルコンピュータ&コマ図…基本的にこれを参照した…当方のに似た仕組みを持つ人に出会った
  4. GPS でのコース確認…コースを Colorado 300 で見たが、前回の轍を踏まぬようにした
  5. サングラス…度付きのサングラス

摂食・水分補給

基本的課題である、摂食・水分補給は概ねうまくいったと見てよいだろう。 まず摂食だが、ハンガーノックになりかかったがビーフライン〜道祖神峠の手前で引いてもらった集団と分かれたので、どら焼きを食べ防ぐことができた。 途中でカップ麺のキツネウドンを食べてみて、特に問題はなかった。 体重も 200km ブルベが終わった時は 1kg 減った(水分を充分に摂っても少なかった)のを考えれば、維持できているってことは、脚が痛くないなら、より長距離も活動できるということであろう。

水分補給だが、頻繁に少しづつ飲むことで、特に問題ないようだ。 あとは、腹痛が起こらない程度に多めに飲めばいいだろうと思う。

撮影

雪のときにも使える W90 は機種としては成功だと思う。 もっと余裕ができたら写真をたくさん撮りたい。←忘れちゃうから写真で思い出したい。 写真がヘタなのは当方のせいだ。

サイクルコンピュータ&コマ図

今回もコマ図スクローラを使って大成功だ。 どこでズレるのかわからないが、ミスコースやブルベカード回収のために 30km くらい多く走っていると思うのだが結果的には 7,8km しか多く走ってないことになっている。 最後のほうで引っ張ってくれた方はコマ図ではなくキューシートのスクローラを持っていた。 金属板でキッチリ作られていたが、輪ゴムがかかっていて、聞いたら巻きが戻るからということだった。 当方のコマ図スクローラも綺麗に作ると戻っちゃうのでキッチリ作るよりもチャチな作りで多少抵抗があるほうがいいようだ。 あのスクローラはカッコいいが真似できないので、今のスクローラでガンバることにする。

GPS でのコース確認

コマ図スクローラが非常によかったために Colorado300 は「本当にハズれてないか?」という確認と時刻の確認につかった。 肝心なときに電源を入れていなくて、自分自身のアホさには何かガッカリするものがある。

膝痛

今回はお皿下の腱が痛くなった。 200km の時ほど酷くなく、膝裏はあまり痛くないので、ふんばらずに乗れればもっとよくなるんじゃないかと期待できる。

サングラス

川越のカニヤさんで購入したサングラスはしっかりと目を保護してくれた。 前走車の跳ね上げる水しぶきも顔に受けて顔がドロドロになるくらいでも気にすることなく前をみることができた。

課題

三回目のブルベだ。課題を挙げて改良したい。

  1. 膝痛
  2. 輪行

膝痛

裏が痛くなければ表が痛いと、次はもうちっとどちらも痛くないようにしたいなぁ。 ゆるーく走らねばと…利根川土手の道で忘れちゃったのが問題だ。 次回以降の自身の抑えに期待したい。

輪行

次回以降は輪行袋は持っていこうと思うが、悪天候が予想されるときは車で行こうと思う。 やっぱりあのミゾレ交じりの雨の中で待っているのはツラかった。 50km 分くらいの体力をつかったと思う。

結びに

終わった、次は 600km だ。(2010/04/19)

今回は、大変感謝している方々がいる。 高速列車の方々(特に先頭になった方々、お一人様発見)、ビーフライン近辺で一緒できた方々(多分男女のペアと英語を話す方に、他の二方が集まった自然集団だと思われる、多分フグレンジャーさんという方だと思う)、道祖神峠からしばらく前を引いてくださった方、最後の方を引っ張ってくださった方のおかげで走りきれたといっても過言ではないと思う。 まだまだ一人では走りきれるほどの力がないことがわかった。

思いつくところを追加してみたいと思う。 意見・感想も歓迎だ。


Memorandum about wheelers | ほかのジャンルを見てみる | サイトマップ

免責

beacon

当方(SHIBATA Akira)は, 本サイトをご利用の際に起きるかもしれない不利益に対し, 一切責任を負いません.